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考える言葉

 

手段の目的化

 
2000年11月06日(月)

 あるTVの朝番で、「今の政治家の多くは、政治家になること自体が目的で政治家になっているので、政治家になって何を為すべきか、自分の言葉で目的を語れない」と誰かが発言していた。

 つまり、「何のために政治家を志したのか?」という、「何のために」という目的を明確にして政治家になっていれば、政治家になること自体はその目的を実現するための単に一つの手段に過ぎないのであるが、そうでもないらしい。
 その結果、どんな手段を講じてでも政治家で在り続けることに執着する。そんな政治家がいかに多いことか。実に恐ろしいことである。

 手段の目的化現象として学ぶべき教訓の例として、よく戦時中の神風特攻隊のことが挙げられる。
戦争に勝つため(目的)に講じられた苦肉の策(手段)であった筈なのに、いつしか特攻隊に志願する勇気(手段)を目的化し、その効果性が失せたにも関わらず、多くの有能な若い命を海の藻屑としたおぞましい史実がある。

 しかし、このような現象は、私たちにとって身近な企業経営の日常性の中でも見受けられることである。
 例えば、資金繰りの一つの手段である銀行からの借入金や支払手形の発行だったはずなのに、いつしか借入金の返済や仕手決裁のために悪戦苦闘の経営に追われるが如し。自分は何のために経営をし、金集めに苦労をしているのか分らなくなってしまう。「自社ビルを持つと経営の屋台骨が揺らぐ」と言われるが、これもその類であろう。他にもたくさんの例がある。

 “手段の目的化現象”の恐ろしいところは、真の目的を見失ってしまい、効果のない手段に縛られ、愚を繰り返すことにある。
 過去の成功体験が通用しないあるいはやり続けても結果が出ないような時には危ないと思うべきである。

 「真理(目的)は一つ、但しその切り口(手段)は無限」という言葉を信じ、「何のために」という目的を今一度、問い直す余裕を持つべきであろう。
 冒頭の政治家は論外。そんな事情では、政治の混迷は当分覚悟せねばなるまい。
故に尚更のこと、私たち経営者は、自らの企業の目的を鮮明に描き、自らの未来の方向性を見定める自助努力が大切となる。

 貴方は、“手段の目的化”現象に陥っていませんか?経営計画を策定する価値は、こんなところにも存在していると考える。