本文へ移動

考える言葉

 

曖昧さ

 
2000年12月11日(月)

私たちの職場には、私たち一人ひとりの認識している以上に“曖昧さ”が氾濫しているのではないだろうか。

 ある幹部会における社長と幹部とのやりとりの光景…・・。

 「あれ、どうだった?」「まだ出来ていません」「で、どうするのだ?」「ハイ、何とか結果を出せるように努力したいと思います」。

 このような会話における表現の曖昧さは、頭の中がクリアーになっていない証拠である。つまり、成果を得るための算段を考え尽していないわけだから、端から成果など期待できるわけがない。
いつしかルールが守られず、曖昧になっていることだって結構多い。しかも、出来ていない理由を聞くと、その理由すら曖昧なのである。
 
 問題解決をだらだらと長引かせ、曖昧にしてしまう人間を観てみると次のようなタイプが多い。

 (1) 無責任なくせに、自己正当化している(責任観念)

 (2) 自分は忙しいと思い込んでいる(時間管理)

 (3) 周囲のことばかり気にして、自分を観ていない(自己客観化)

 (4) プライドばかり高くて、至って臆病である(自己革新)

 (5) いつも二番煎じで立ち振る舞う(リスク回避)

 極めて厳しい経済環境の中で、企業は生き残りの戦いを余儀なくされている。そのためには、先ず組織の中にある“曖昧さ”を向き合うことである。私は、この曖昧さが組織の活力を削いでいるように思えてならない。この曖昧さを解消しただけでも、相当の成果が期待できるのではないだろうか。

曖昧さを一掃するためには、先ずは曖昧な部分を一人ひとりに全て書き出させることである。そして、危機意識を共有させ、成果主義(目的)に徹することだろう。
成果主義の方法としては、自らが目標を掲げて自己管理を行う“目標管理”を徹底させることが有効である。

 目標管理をやり続けると、自分の強みや弱みがはっきりと浮彫りにされてくる。要するに、自分を正しく知るようになる。
“曖昧さ”は、「自分への無知」から生じているのではないかと、私は考えている。
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない時代になるという。そのためにも、自分への無知、曖昧さと真剣に向き合うことから目を背けてはならない。

 「自分とは何か?」を学ぶこと、即ち成長の第一歩だと考える。