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考える言葉

 

気概

 
2001年01月29日(月)

 恒例の新春全国経営者大会(1月25日から3日間)が、東京の帝国ホテルで開催された。

 各界から多くの論客が講師として名を連ね、日本が抱えている今日的課題をあらゆる角度から取り上げて論ずること、さすが百戦錬磨の猛者である。大変参考になることも多かった。
しかし、大会のテーマが「新たな千年紀の幕開け!」にも関らず、日本の将来に対して総じて悲観的な発言が多かったと思う。

 欧米では今や“ジャパン・ナッシング”と言われているのに、ダッチロールをしている政・官の乱れ。リーダー不在のまま10年があっという間に過ぎた。
 大前研一ならずとも「ハンドルを早く離して降りろ!」と叫びたくもなる。

 政・官の無責任さを批判するのは簡単だ。しかし、大切なのは「自分たちで運転しよう!」という大前研一の提案に、国民の一人ひとりが気概を持って困難に立ち向かえるかどうかである。
ジョン・F・ケネディの言葉、「今、私たちにとって大切なのは、国が国民に何を為し得るのかではなくて、国民一人ひとりが国のために何を為し得るのかである」が思い出される。

 日本がもう一度“輝き”を取り戻すには何が必要なのか。
大胆に変わらざるを得ないのに関らず、変わり切れない政・官の体質を嘆くよりも、私たち国民が、“自らの為すべきことをしっかりと為すこと”ではないかと考える。

 自己チェックをしてみよう。「できなかったことを、誰か他人の所為にしていないだろうか」、「やる前から諦めてはいないだろうか」、「無目的に、今を生きてはないだろうか」「イヤな現実から、目を背けてはないだろうか」、「リスクを恐れて、安易に生きてはないだろうか」、「戦うことから逃避していないだろうか」、「自分の都合しか考えずに、生きてはいないだろうか」等々。

 無気力からは何も生まれない。自らの心を“気概”で満たすことからやって見ようと思う。そこから何かが動き出す。

 実に軽妙なタッチで話す永六輔の何気ない一言が、妙に心に残った。
「過激にならないと世の中は何も変わらない」
日本って国は、決して捨てたものではない。私の廻りにだって、結構“気概”に溢れた人たちがいる。

 私心を捨て、気概を持って“為すべきことを為す”ことから始めようと改めて想う。