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考える言葉

 

レッテル

 
2001年04月16日(月)

日々、うんざりするほどの情報が、あらゆる手段を講じて舞込んでくる。ちょっと油断すると、机上は未整理の情報で山積みとなる。
されど情報、無いと不安なのか。情報を得る機会を逃してはならないと情報収集に費用をかける。多くが箪笥の肥やしと化しているのだが…・。
情報化社会に生きている企業人にとって、確かに情報は欠くべからざる大切な経営資源であることは否定できない。その意味において、情報を上手く使う術を学ばざるを得ないであろう。
情報収集に奔走する前に、認識しておく重要なことがある。それは、情報が伝える事実とは、“誰かが分類し、貼りつけたレッテルである”ということ。つまり、情報には必ず人が介在する。人が介在する以上は、その人の意図や価値観が、情報には必ず反映される結果となる。
故に、情報を活かすためには、貼られたレッテルの信憑性を認識できる価値観を養うことが、私たちに求められよう。
あるスーパーで目にした光景、買物客の主婦が棚から牛乳を手にして籠に入れたが、それが雪印だと気付くと、険しい顔をして元に戻した。かつて雪印のレッテルは、信頼のマークだった。一度、危険なレッテルを貼られると一変する。事件後の対応を見ていると、他のどのメーカーより衛生面に気を使っていると思うのだが、その評価を変えようとはしない。
人は何かを信じて生きている。それは、何らかの形でレッテルを貼りながら生きていることを意味する。同時に、他人からレッテルを貼られているのであるが…。
問題なのは、世の中は常に変化しているのに、一度貼ったレッテルをはがして見て、検証し直して見ることを殆どと言って良いほどやらない。
銀行の抱える不良債権の最終処理も然り。マニュアルに従った分類で企業に破たん懸念先のレッテルを貼る。金融監督庁ににらまれるからと言って、通り一遍の形式的な処理を断行するような愚を犯してもらいたくない。貼ったレッテルを一度はがして見て、あらゆる角度から存続の可能性を探ってもらいたい。個々の企業の現場に足を運び、経営者が「今、何を考え、これからどのような展開をしようとしているのか」を問い、自らの見識で実態を見極めて欲しいと願う。
また、変化の激しい情報社会の中で生きる私たち企業人は、自らの価値を知らしめる(情報発信する)努力を、常に怠ってはならないと考える。
今、企業に求められているイノベーション(自己革新)とは、“自らのレッテルを貼りかえ、知らしめる努力”といえよう。