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考える言葉

 

自立

 
2001年05月07日(月)

小泉内閣の誕生は、ある種タブー視されてきた改憲論議に火をつけたように思える。国のあり様について、根本から見直さなければならない今日的状況を考えるとチャンスである。
日本において自国の憲法を語ることは、特に国会論議においては、いつも政治的イデオロギーの色彩を拭い切れず、政争の具とされてきた。
占領下におけるGHQ草案の押しつけ憲法(マッカーサー憲法とも呼ばれた)であったという生い立ちが、そうさせるのだろうか。終戦直後だったから、GHQに3R主義的な感情も残っていたと思う。
憲法は国家の基本法であり、これを制定することは自国のあるべき姿の根本をデザインすることであるとするならば、それを他国に委ねなければならなかったことは歴史的に不幸だったと言えよう。
しかし、その後、経済至上主義の名のもとで経済的自立を優先させ、精神的自立を置き去りにしてきたことは、日本という国の怠慢さにある。
確かに、戦後の日本における驚異的な経済的復興は、多くのアジア諸国における経済的興国の手本と示したといえる。しかし、バブル崩壊後の今日、世界の目は精神的自立を置き去りにしてきた結果生じた諸問題を、日本がどのように解決しようとしているのか、その舵取りに注目していると言えよう。
キーワードは“自立”にある。真の自立国家としての“あるべき姿”をどのように描き、分りやすく“メッセージ”できるかどうかであろう。
その意味において、護憲か改憲かというイデオロギー的な論争ではなく、新しい時代のパラダイム(価値観)に合った“国家のあり様”とは何かという視点で、憲法問題を広く、国民レベルで考える時期にきているのではないだろうか。
(1)自立国家として、日本はいかにあるべきか(アイデンティーの確立)
(2)国際社会の一員として、自立した日本はいかなる貢献を担うべきか
(3)実現可能な仕組み・制度はいかにあるべきか
国家としての価値観を共有できていない国民が、グローバルという荒海の中で、どのように自己のアイデンティーを表現できるのであろうか。
これは、あらゆる組織と個人の関係においても同意であると考える。
なお、ここで言う“自立”とは、「自己の存在価値を正しく認識し、あらゆる関係性を統合しうる価値観の確立」をいう。(経営人間学講座)