2001年10月15日(月)
同じ場所からの景色でも、自分の“目線の高さ”を少しずらしただけで、けっこう違った景色が目に飛び込んでくるものだ。
子供の頃、親子連れ立っての散歩の道すがら、同じ場所を共有しながら、異なった景色を見ていたに違いない。
勿論、“目線の高さ”は背丈の差だけではない。職場における上下関係(地位)、職業、物の見方や考え方(価値観)あるいは心の状態によっても、目線の状態はずいぶんと変わるのではないかと考える。
職場においては、概ね、上司の目線は高く、頭ごなしに部下を見ており、聞く耳を持たなくなる。しかし、目線の低い部下は、いつも下から覗き込んでおり、文句は聞かされているし、上司のあり様全て丸見えで、見切られていることが多い。まさに、“知らぬが仏”なのである。
そこで、大切なことは常に意識して“目線の高さ”を変えてみることではないかと考える。
“鳥の目”あるいは“虫の目”という言葉がある。“鳥の目”は、上空高くから全体を見渡すことができるが、“虫の目”ように部分を鮮明に見ることはできない。
組織のトップは、“鳥の目”のように大局観を持ち得るが、いつも現場で働いている人間と比べると、現場で起きている日常的な変化を見落としてしまうであろう。つまり、現場の生の声が届かないのである。
私の経験では、自己の価値観(自分が身につけている物差し)を変えてみると、ずいぶんと“目線の高さ”が変わるものである。
そのためには、心の仮面(執着、傲慢、偏見、我欲など)を剥がし、捨て去ることである。そして、先ずは“素直な心”で人(部下)の話に耳を傾けることではないだろうか。
自分の“目線の高さ”を変えることができれば、今までと全く違った視界が開けてくるはずである。今まで気付くことができなかった多くの事実に気付かされるはずである。
“とらわれない”ように心掛けていても、“とらわれてしまう”のが人間の心である。目線だけを変えようとしても、心のあり様が変わらなければ表層的になり、真実は見えてこないだろう。
その意味において、“目線の高さ”とは、その人の“価値観の柔軟さ”に左右されるのではないだろうか。
混沌とした時代が続くなか、情報が企業の命運を決するという。衆知を集めたいと願うならば、自らの“目線の高さ”に柔軟性を持つべきだと考える。