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考える言葉

 

信頼

 
2002年10月07日(月)

 ある会合での懇親会で“部下との信頼”について語り合う機会があったが、このテーマの奥はけっこう深い。
 「部下を信頼して仕事を任せることの大切さとその難しさ」が、その議論の内容であった。「信頼して仕事を任せるべきである」ということに関しては誰も異論はないが、「本当に信頼して任せられるのか」というと、確かにそんな簡単な話ではない。
 うまく行っているときはよいが、業績が厳しくなるとお互いの関係に疑問を持ちはじめるし、不安が台頭してくることもあろう。
 “信頼”とは、それを口にするから持てるのではない。お互いに本音でぶつかり合いながら、理解し合い培っていくものである。
“信頼”とは人間関係だから、それが成立する条件として次のようなことが言える。
(1) 自分が相手を信頼しているかどうか
(2) 相手が自分を信頼しているかどうか
つまり、“信頼”とはお互いがお互いに信頼し合えたときに成り立つのである。だから、部下に信頼して仕事を任せるということは、部下に信頼される上司であることが前提であらねばならない。
 (1)と(2)の関係が成り立つための前提要件としてもっと大切なことがある。それは、「自分が自分自身を信頼できるかどうか」である。自分自身を信頼できない人間が他人を信頼できるはずがないし、また当然ながら他人から信頼されるはずもないからである。
 “信頼”について考えるとき、つぎの三つの視点から自問自答すべきではないか。
① 自分はどうして自分自身を信頼できるのか
② 自分はどうして相手を信頼できるのか
③ 自分はどうしたら相手から信頼されるのか
 “信頼”とは、信じて頼ることであるが、「相手と心を一つにすること」を意味している。
企業人としての私たちは、“働く場”を共有している運命共同体のようなものである。つまり、本来、私たちは“場を形成している価値観”を共有し合える関係にある。
そして、“場を形成している価値観”とは、その組織の理念・目的の共有から生まれるものである。
そのように考えると、「理念・目的」の確立とその具現化に対する一人ひとりの自覚こそ、仕事における上司と部下の“信頼関係”の根本を為すものではないだろうか。