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考える言葉

 

焼け太り

 
2002年11月04日(月)

 「外務省改革、焼け太り?」という見出しの記事(朝日)に興味をひかれ読んで見ると、相次ぐ不祥事を受けてスタートした外務省の組織変革がいつのまにか官僚の巻き返しにあって「焼け太り」に向かい始めているという。
 つい最近、飲食街でのぼや騒ぎに出くわせ(フライパンの油が燃え、煙が出ただけの騒ぎだったのだが)、「このまま、焼け太りも良いかも・・・」(お店のママ)といって、冗談まじりの会話をしていたので気になったのだろう。
 本当に焼け太りするのかと思い、インターネットで“焼け太り”を検索すると何と驚いたことに、事例のほとんどが、官僚機構の改革が官僚の抵抗にあって骨抜きにされ、反って仕事が増え、人が増えるということばかりなのだ。
 今回の外務省改革も変だ。不祥事発覚後、自民党で外務省改革案をまとめた茂木敏充が内閣改造で省内(副大臣)に入った途端にトーンダウンしてしまったという。さらに許し難いのは、「焼け太りなら大歓迎」(外務省幹部)と危機感の欠片もない。
 恐ろしいことに、日本の官僚は、「この25年間、失敗ばかりしてきた」(P・ドラッカー)にも関わらず、である。
 ご存知のように、官僚の行動基準は前例主義である。だから、前例にないことは決してやりたがらない。およそ、自らの改革を実行する体質など持ち合わせていないのであるから、官僚に自らの改革案を求めても無理である。
 それに、地位を得るとすぐに保身に走る、今の政治家などそれこそ骨抜きにすることなんぞ、さぞかし簡単なのだろう。彼らエリート官僚には「自分たちに代わるべき存在はない」という、何とも傲慢な自意識がある。
 かつて、「官僚は政治家を恐れ、政治家は国民を恐れる。だから、バランスが取れてよい」と言った政治家がいたが、本当にそうあってもらいたいと思う。そのためにも、身の保身に走るのだけはやめて欲しい。
 「焼け太り」の意味が、「官僚が不祥事を引き起こし、改革する過程において増殖すること」などと理解されるような事態だけは何とか避けたいものである。
 とに角、時代のテンポがはやく、一ヶ月も経たないうちにニュースバリューが落ちる時代である。余程、意識していないと忘れてしまいがちである。しかし、官僚制度の見直しは、変革の根本に関わる問題である。忘れてしまう訳にはいかない。
 前例にとらわれる官僚システム、それに引きずられる政治は、思い切って大胆に若返るのが最良の方法だと思うが、如何だろうか。
 旧い体質が焼け太っては、日本の未来は描けなくなる。