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考える言葉

 

できない理由

 
2002年12月02日(月)

予定通りにいかない理由に、「忙しい」ということが多くある。
しかしながら、よく考えてみると、「忙しい」を“できない理由”として口にするほど恥ずかしいことはない。
「忙しい」ということは、「心を亡くす」の通り、セルフ・コントロールできない状態に陥っていることを自らが認めていることになる。これが組織のトップや幹部であるとすれば、恐ろしいことである。心を亡くした状態で、重大な意思決定をしてしまうことを意味している。
トップや幹部は、心にゆとりをもてないような状態にあるとすれば、仕事をしないで敢えて暇をとるべきである。支障が出るだろうか?私は全くないと思う。
自らを振り返ってみると、「忙しい」と感じているときは、目先の仕事にとらわれていて、些事に首を突っ込み、追われていることが多い。要するに、仕事の優先順位を間違えてしまった結果であり、任せるべきことを任せきれず、自分で抱え込んでしまった結果であるといえよう。すなわち、本来“為すべきでないこと”に時間を費やしているに過ぎないのである。
このように考えると、予定を立てるときにすでに問題があったと言えなくもない。「忙しい」の悪循環に陥って、自己の役割認識を明確にできないまま、あるいは焦りの中で自己の役割を真から受け止めようとしないまま、服従的にスケジュール化してしまったのかも知れない。
そして、服従的なスケジュールを立ててしまうと、自らの行動に責任を取ろうとしなくなり、当然ながら結果の検証も無価値なものと感じてしまい、おろそかにしてしまう。フィードバックなど期待できるはずもない。
予定(目標)管理のシステムが機能しない、真の理由はここにあるのであって、「忙しい」というのは、その現象に過ぎない。自己の役割に対するしっかりとした価値認識をもてないまま、また、そのことを考えるための“ゆとり”をつくろうとしていないところに問題の本質はあるといえよう。
今、トップや幹部に求められている重大な職務は、自社の未来を描き、未来を創っていくことにある。
その人たちが、「忙しい(心を亡くしている)」などと口にするのは大変恥ずかしいことであり、それが事実だとすると、組織は大変危険な状態にあるといえよう。

「できない理由」を考えなくてよいような予定を立てるべきであるし、そのような結果を出したいと考える。