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考える言葉

 

エゴ(自我)

 
2002年12月23日(月)

広辞苑によると、「エゴ(egoラテン語)とは“自我”のこと」となっている。
学生の頃、自己中心的で、自分勝手な人間を「おまえは、エゴイストだ」となじり合ったりして、けっこう流行り言葉の一つになっていたような気がする。
30数年たった今、社会のエゴ的状況はもっと進んでいるように思えてならないのだが、エゴイストという言葉を口にする人が少ないのは何故だろう。
エゴの本質は変わらないとしても、その形態が変わったのだろう。以前のエゴは、攻撃的で、その意味において顕在化していた。野心的で、権力的で他人を屈服させようとする、自己主張の強い、みえみえの傲慢さがあったような気がする。
今のエゴは、自己防衛的である。用心深く、管理能力にたけていて、柔軟性がある。「あなたは、あなた。わたしは、わたし」のお互いのエゴ社会が確立されており、それ故に、その棲み分けが上手くいっている限り、めったになじり合うことはないのである。その意味において、エゴは潜在化しており、みえないところに実にしたたかに蔓延っているといえよう。エゴはいつしか、市民権を得てしまったのかも知れない。
今風のエゴは、自分を守ろうとする働きが強いので、どうしてもネガティブで自分の殻にこもりがちで、視野を広げようとはしない。一見、柔軟性があるようにみえるが、優柔不断でけっして自分を変えようとしないのである。ある意味において、攻撃的なエゴよりも変化への恐れが強いのか、変わることへの抵抗は相当強い。
いずれにしても、エゴはガン細胞と同じで、自己中心的で他との協調性に欠けるのであるから組織にとっては、大変厄介な病原菌であることには違いがない。いや、ネットワーク化が進む今日、エゴはエゴ自身にとっても厄介な敵であることに気付くべきである。
組織の中からエゴを撲滅させることは決して容易なことではないが、今や組織にとって、エゴを許せるような生やさしい環境ではないことを一人ひとりが認識することから始めなければならない。
お互いの心を開いて、“共有する場”を大きく育てることの大切さに気付き、オープンで誠実な対話を心掛けることである。
そして何よりも、一人ひとりが謙虚に人の意見に耳を傾けること、建設的な意見に身を構えることをやめて、先ずは受け入れてやってみることである。
エゴの怖さは、それが攻撃的なエゴであろうと、自己防衛的なエゴであろうと、自己中心的であるがゆえに、自分を正当化して“傲慢”に陥ることである。
“傲慢”は成長の敵である。故に、“エゴ(自我)”は、自分を滅ぼす最大の敵である。