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考える言葉

 

気力

 
2003年02月03日(月)

 先達ての横綱・貴乃花の引退もそうであったが、人の進退は究極のところ“気力”の喪失ではなかろうか。
 スポーツ界に限らず、頂点を極めた人の進退はいつの場合も話題となるが、自らの活動の領域への気力の衰えをどのように自覚するかによって引き際のドラマが展開されよう。
 広辞苑によると、“気力”とは「活動に堪え得る精神力。気根、元気、精力」とあるが、さらに“気”とは「天地間を満たすと考えられるもの。また、その動き。万物が生ずる根元。生命の原動力となる勢い」などと定義づけている。
 “気力”とは、「あらゆる生命的活動の元となるエネルギーの大きさである」といえるのではないか。
 人に限らず、企業においても同じことがいえる。企業の倒産は、外部環境の変化や景気の動向などで業績や資金繰りの悪化その他様々な要因が考えられるが、そうではない。
究極のところにおいては、トップリーダーの“気力の喪失”や従業員の“やる気のなさ”が、その原因であると考えられる。
倒産後、残された従業員が一丸となって再建に走り、存続しているケースも少なくはない。
今、日本のマクロ経済は様々な構造的要因を抱え、元気がない。元気がないどころか危機的状況にある。しかし、マクロ(国)がこんな状況だからこそ、ミクロ(国民や企業)が“気力”を奮い立たせるときではないだろうか。
企業の生命的活動の原点は、“目的”にある。つまり、「自分の企業は何のために存在しているのか?」
そして、自らの活動領域(目的)へ組織(全員)の“気力”のベクトルを集中させることである。“目的”の明確化こそ、“気力”の充実を取り戻す元であることを忘れてはならない。
 貴乃花に限らず、国民的ヒーローは、自らのためだけではなく国民の期待を背負うことによって、その活動領域(目的)の意識を高めていったからこそ、より大きな“気力”を自らのものにできたのであろう。企業も同じである。今こそ、社会の期待に応える気概を示すときであるといえよう。
外部環境に対する失望や落胆からは、なにも生まれない。それどころか、大切な気力まで失せてしまう。
企業の原点に立てば、必ず“気力”が甦ってくると信じている。