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考える言葉

 

臨書

 
2003年03月17日(月)

 習字の基本的な方法に“臨書”というがある。手本を忠実に真似ることによって、字の書き方を習うことである。
 仕事も同じではないだろうか。職場の上司や先輩の仕事振りを見て、しっかりとそれを真似ることから仕事の段取りのつけ方とか処理の仕方を身につけながら一人前になっていくのである。
 ところが、同時期に入社して、同じ仕事の環境に置かれながら、成長の度合いに個人差が出てくることを否めない。
 その理由の一つとして、その人間が“素直”であるかどうかが要因として考えられる。仕事の覚え始めの段階においては、特にその影響が大きい。人間、素直でないと忠実になり得ないのである。
例えば、新卒者と中途採用者を比較してみると良く分かる。中途採用者は往々にして、過去の経験にとらわれて、素直に聞き入れることができない。最初は、何とか新しい環境に慣れようと努力はするが、慣れ始めると我を通し始めるのである。
それは、その人間の柔軟性に欠いた価値観のためであろう。素直に相手の話を聞けると、相手の言動の背景にある価値観を理解できるようになるので、うわべの真似事ではなく自らの価値観そのものが柔軟になり、今まで気付くことができなかった仕事の本質に迫って行けるのであるが、そこら辺が難しいらしい。
 素直な態度で、人のやり方を真似ると個性を損ない、自分の良さがなくなるのではないかと思っている人がいるようだが、そうではない。
むしろ、その逆である。今まで気付くことができなかった新しい自分の発見につながるのである。より素晴らしい個性を磨くために、臨書からはじめるのである。
成長の度合いに個人差が出る二つ目の理由として、仕事の秘訣を完全にマスターする前に、分かったつもりになって臨書をやめるのである。概ね、こういう人はすぐに慢心に陥る傾向がある人だといえよう。
基本をしっかりと身に付けなければならないときに、我流に走るのは自己の成長にとって、もっとも危険な行為である。
“お手本”に対して、素直になれなかったり、すぐに慢心の陥ったりする人を観ていると、その人の価値観の低さに問題があることが多い。マズローの五段階欲求説でいうと、三段階までのレベル(生存・安全・承認)の人に多い。
「お手本を持つこと(臨書)」は、自己の成長にとって極めて重要なことであることを改めて認識しておく必要があると考える。