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考える言葉

 

免疫力

 
2003年04月14日(月)

 病と闘っている知人のことが気になっていたのだろう。旅先で「免疫学問答~心とからだをつなぐ“原因療法”のすすめ」という本に出逢った。
 体内に取りついた病気を、それがまだ発症する前に捕まえて外へ追い出してしまう力のことを、「免疫」という。そして、病気とは、この免疫力と疫病力との戦いであり、熱がでたり下痢をしたりするのは、免疫力が病気を治そうとしている状態だそうだ。熱や下痢が激しすぎると体力が弱まるので、熱冷ましや下痢止めをつかうが、これは免疫抑制剤なので、自分の味方である「免疫力」のやる気に水を差すようなことをしているともいえるのだそうだ。
 つまり、症状の除去(対症療法)のみに関心を奪われると、人間のもつ「免疫力」をそこない、真の回復力(生命力)をうしなってしまいかねないことになる。
 企業に問題(病気)が生じたときも、目先の解決ばかりに気を取られ、根本解決を先送りしてしまうような対症療法に頼って、「免疫力」を低下させるような恐ろしいことをしていることはないだろうか。
 たとえば、資金不足が明らかになってから借入れの算段に走り、手形の増発でなんとかその場しのぎをやってしまう。まさに対症療法で、原因療法をやっていないから同じ症状を繰り返すことになる。
 この悪循環から逃れるための唯一方法は、自社の経営計画を自らの意思で策定するしかないと、わたしは考える。
 経営計画は、自分や組織のことをよく知ることからはじめ、免疫力を高める原因療法のために、あらゆる経営資源をどのように配分し、統合するかを考えるためにある。すなわち、組織の目的を明確にして、その共有化をはかり、その実現のために一丸となって働く環境をつくるのである。そうすると、他に依存することなく、真の回復力を養うことになる。
 大切なことは、困った状態になってから、どうしたらよいかを問うのではなく、そうなるまえに問うことをはじめるべきである。つまり、資金が不足してから、銀行対策のための経営計画では意味がないのである。経営計画は、「無限定な未来へ自らの意思で条件付けするところ」に意味があることを忘れてはならない。
 上記の本は、免疫力が体内のどこにあって、それを支配している自律神経と心の関係などを説明しつつ、私たちのからだがたくさんの細胞からできているにもかかわらず、いかに一つの目的に一致協力して働いているかという、生命のすばらしさを示唆してくれる。