2000年07月24日(月)
21日から3日間、沖縄で開催された主要八ヶ国(G8)によるサミットが終幕した。
私の感じであるが、20世紀最後の区切りの年である2000年開催の割には、緊張感の薄いサミットのような気がした。
マスコミの報道もどちらかと言うと、サミット参加の首脳をもてなす地元・沖縄の歓迎レセプションの情景に時間を費やしており、サミットにおける課題の浮き彫りや各国間のやりとりが伝わってこなかったように思える。
サミットの歴史は、1975年に当時のジスカールデスタン仏大統領とシュミット独首相が首脳同士の話合いの場を持とうと呼びかけたことから始まる。パリで開催された第一回首脳会談(サミット)には、フランス、ドイツ、英国、米国、イタリア、日本の首脳が出席し、その後、カナダが参加して「G7」として定着。1997年のデンバーサミットからロシアが加わり「G8」となった。日本では、79年、86年、93年に続き、今回で4度目となった。
今回の沖縄サミットは26回目となるが、始まる前から中近東和平交渉を重視した米国の気乗りのなさが気になっていたが、案の定、クリントン大統領はぎりぎりに来て、真っ先に沖縄を去って行った。
議長国日本が強いリーダーシップを発揮していれば、状況はもっと変わっていたのではないだろうか。時代の流れからいって、新しいサミットの枠組みを模索するために「中国あるいはインドの参加」を提唱するぐらいのことをやっても良かったのではないか。
21世紀は、“アジアを中心に世界が動いていく”という印象を与えるぐらいのことをやってもらいたかった。
そうすれば少しは、米国も真剣になったのではないだろうか。ロシアのプーチン大統領は事前に中国とも会談をし、多少なりとも影響力を誇示しようと利用すべきことはやっている。
日本政府が今回のサミットの目玉とした情報技術(IT)革命については、「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章(IT憲章)」として採択された。
まさに、IT革命はグローバル化をさらに加速させるであろう。もうアメリカの顔色だけを覗っていても日本という国の再生は有り得ないだろう。むしろ、アメリカから自立しなければならない。
自立とは、日本という国のアイデンティティを明確にすることである。顔がはっきりと見える国になりたいと思う。