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考える言葉

 

自分らしさ

 
2022年12月26日(月)

 『賢者の習慣』(アーノルド・ベネット著)という本の中に、「自分は他人にどんな印象を与えているか?」という問いかけがある。そして、その著者はそのことに関して「われわれはよくわかっていないものだ」と述べている・・・。
 著者がいいたいのは、「どんな人も、他人から見た自分と、自分自身の評価には大きな違いがある」ということであろう。
 父の仕事の関係で、小中学校の頃だが何度と転校を余儀なくされたことがある。その時、必ず自己紹介をさせられる。その後、慣れるにしたがって話せる友達が徐々に増えていくのだが、それまでにじっとクラスメートを観察することが多かった。
 このクラスの番長格は誰で、一番頭がいいのは誰で、一番人気者は誰かなどと観察をしていた記憶がある。同時に、自分はどう思われているのだろうか、気にしていたような気がする。
 そしていつも感じたのは、第一印象と慣れてきてからの印象は意外と食い違っていたことが多かった。
 “自分らしさ”とは、「自分の価値観を大切にして、自然体で言動が行えること」である。「らしさ」はそれ自体の特徴がよく分かる状態のこと。それに自分がつくので、“自分らしさ”とは自分の特徴がよく現れている状態だといえよう。
 中学の頃だったか、友人たちと遊んでいるとき、「格好つけてもしょうがないだろ、どうせ直ぐに化けの皮は剝がれるんだから・・・。地で行こうぜ!」と、言い合ったことを思い出している。
 “自分らしさ”、すなわち自分の印象を操作することはできないと思ったほうがいい。他人によい印象を与えようと努力したとしても、他人からは「無理しているね」と思われるのが落ちである。
 “自分らしさ”というものは無意識のうちに相手に与えているものであり、意識的に変えられるものではないのである。また、受け取る側も無意識のうちに受け取っているのであり、意識して受け取るものではないのだ。
 その意味において、良好な人間関係とは、お互いの“自分らしさ”を認めたうえで、補い合ってつき合っていける関係だといえよう。
 老子の言葉に、「無為自然」という言葉がある。小生の座右の銘の一つである。あるがままの自分と環境が同化している生き方・・・。
 “自分らしさ”にも、理想の“自分らしさ”が在っていいと思う。その差を埋める努力こそが成長だと考える。
                   ”考える言葉”シリーズ(22‐50)